今はもう店を閉じてしまったそうですが、八田亨(はった・とおる)さんとは南大阪のとある器屋さんで知り合いました。4年程前のことでしょうか。
そのころすでに八田さんは自ら陶芸教室を主宰していたですが、出会った当時は自分自身の器を世に出したいと思い始めたころで、作家活動を模索し始めた時期でした。
その器屋のオーナーに自作の器を見せていた時に、「ちょうどいい機会だから、穂垂さんにも見てもらったら」と促され、少しばかり感想を述べさせていただいたのが、八田さんとのその後の交流の始まりとなりました。
そのころ彼はまだ器作家についての知識もあまり持ち合わせていなかったようですが、何度か店にも来てくれたり、その他たくさんの作り手の器を見る中で、村木さんの器に特に惹かれ、自分の進むべき方向を絞っていかれたようです。
その後、村木さんの工房に一緒に行ったり、お互いの展示会に行ったり来てくれたりしながら、店と作り手としての取引はせずに交流を続けていたのですが、昨年の村木さんの窯焚きに一緒に向かう車中で、「自分も村木さんと青木さん(故青木亮さんのことです)がそうだったみたいに、同世代の志の近い人間と刺激し合える関係を持ちたいと言っていたことがこの三人展を企画する発端となりました。
その辺の経緯については八田さんがご自身の
ブログで書いておられるのでそちらをご覧になってみてください。
八田さんはとても向上心が強く、器も拝見する度に着実にクオリティを上げていかれ、持ち前の社交性とフットワークの良さを武器に、順調に取引先を広げていかれました。
出会ったときに私から言われた「陶芸教室をやりながら作家としても成功している人はほとんどいないよ」という言葉をいとも簡単に覆してしまいました。
作家活動と教室の主催、そして4人の小さなお嬢ちゃんたちの父でもある八田さんはただでさえ忙しいのに、ご存知の方も多いと思いますが近年堺で行われている「灯しびとの集い」というクラフトフェアでは実行委員長まで務めてしまうという、彼の桁外れの行動力の高さには、私はただただ脱帽するばかりであります。
さて、長くなってきましたが彼の器について触れないわけにはまいりません。
大阪の堺で作陶する八田さんは、大学卒業後(高田谷将宏さんとは実は同時期に同じ大学に通っていたことが村木さんの窯焚き時に発覚!)すぐに、地元の土で陶芸をするというテーマで大阪市か府かが主催した陶芸プロジェクトのスタッフとして参加して以来、身近にある土を使って、土の味を生かした器作りをするというのが八田さんのメインテーマとなっています。
作品紹介ページをご覧いただくと、粉引や三島といった陶芸技法の前に「上神谷(にわだに)」とか「辰巳」など、見慣れない文字が付いていることに気付かれると思いますが、これらは八田さんの堺の工房付近や郷里の石川県金沢市付近のローカルな地名で、そこで掘った土を主に使って焼いていることを意味しています。何も地名が付いていないものも、多くは堺や岸和田あたりの土をベースに作られたものです。
使う土によって、形や雰囲気が違うことも画像をじっくり見ていただくとわかると思いますので、その辺もみていただけると嬉しいです。
粉引を軸に、何でもこなせる八田さんですが、最近特に力を入れているのが三島です。
比較的きめの細かな定番土で作ったものは、すっきりとした端正な形に、彫三島の白が映えるきりっと引き締まった雰囲気が魅力です。
そして上神谷の土で作る三島はそれとは違って、ごつごつとした原土によって導かれる形で、小石混じりのごつごつとした素地は、必ずしも形が整わず、歪んだり傾いだりして破綻しそうになりながらも、八田さんの手によって破綻を免れ、土本来の力強さや素朴さが三島という最小限のオブラートに包まれて、力強くもやさしい器の姿となったものです。
それから、今回は薪窯ならではの個性的な焼き上がりの器もたくさん出品してくださいました。
大阪第2の都市、堺という町の中で薪窯が焚けるのかと私自身びっくりしましたが、実際工房に伺ってみると眼下に田畑も広がる高台ののどかな環境が広がっていました。
年に数回、試行錯誤しながらの薪の窯焚きですが、三人展直前の窯では焼き締めの器にチャレンジされ、実は大きく失敗されたのですが、その中で数少ない良い焼き上がりの器だけが今回出品されています。
その他、鉄釉やぶどう灰釉などの中々安定して焼けない貴重な薪窯作品も大いに魅力的で、今回個展ではないのに個展並の器を揃えて下さったのも、この三人展に八田さんが並々ならぬモチベーションで臨んでくださったことがひしひしと伝わってくる内容となっています。
八田さんを含む3人の仕事は下記ページよりどうぞじっくりご覧ください。